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ヒマラヤトレッキング

   1995年12月21日〜1996年1月8日

12月21日(土)
 (夕)機内食  
 京成を利用して成田へ。早く着いたので、食事をしたあと(地中海風うどん)、少 し空港を見学。集合の14時15分位前に指定の場所に行くと、例のヒゲの小山田さ んがきている。その後時間になっても西遊のひとらしい姿が見えない。20分以上す ぎて少々あせりだす。そして会社に電話をしたりする。場所がちょっと離れていて程 無くあうことができる。きていた女性は実は希望ケ丘の卒業生ということで驚く(卒業時の担任は高橋先生。帰国後外語のヒンディ科を卒業と聞き、或いはと思い電話をして見ると、やはり岩淵先生のお嬢さんを知っているどころか、親友であることがわかり、世間の狭さに改めて驚く。中学が舞岡というのも因縁!)。

 さて、もう一人の渡辺さん。第一印象は、岩登りをやる人、というからだつきに思 えた。果たして、そうであった。あの小森さんを思出したからだ。
 出国のチェックはリュックは何も問題なし。機内持込のリュックは、なかをあけら れるが、特に問題なし。
 飛行機の席は幸い窓側がとれる。これは全く偶然。おかげで夕焼けを撮影することができる。
 無事離陸したところで、自己紹介。31,33,35と同世代であり、うまくやっ ていけそうな感じ。シャレが通用することがわかり、私としては大いに喜ぶ。

 約5時間のフライトのあと、ホンコン着。リュックはノ−チェックで通関。日本語のわかるリさんが出迎えにきてくれる。ホテルまで15分程度。はじめてのホンコン (ヨ−ロッパアルプスの帰りはトランジットで空港ビルのみ)、さすがに高層ビルが多く、活気にみちている感じ。
 ホテルのある一角は一番の繁華街。部屋は田代が一人で一部屋、渡辺、小山田で一部屋。若干の整理のあと、一応ぶらつくことにする。

 私が持参の「パック」の地図を見ながら、「裏町」的なところを中心に2時間程度歩く。帰りには、この大衆的なところで庶民の味を楽しもう、等と話す。クリスマスを控え、イルミネ−ションが美しい。12月も下旬だというのに、セ−タ−だけで十分の暖かさ。さすがホンコンではある。

 顔つきは日本人そっくり。しかし、勿論日本語は通じない。当たり前だか、違和感というか「おかしさ」を覚える。韓国だともっとその感じが強いだろう。男女問わず眼鏡をかけた人が多いのが印象的。特に空港の職員にそれが目立った。
 ホテルに戻り、パッキングを整理などして就寝。
12月22日(日)
(朝)ト−スト、ハムエッグ、コ−ヒ−、ジュ−ス  トイレ。
 カトマンズへ向けて出発の日。チップに関してリさんがいろいろ教えてくれたが、 慣れないので、違和感あり。チップがサ−ビスに対する決まった報酬(任意ではなく)であると考えれば分かりやすいのだろう。荷物一つにつき2HK$。
 出国の手続きは成田より多少詳しい感じ、係官の多くが女性。X線の感光を防ぐた め、フィルムは別にする。L空港税120ホンコン$。
 飛行機はB727。ロイヤルネパ−ル航空(RA)だ。私が、撮影に熱心ということが分かり、また窓側の席にしてくれる(進行左側)。お尻から乗り込む感じ。食事はまずまず。

 約  時間のフライトで、ダッカに到着。小一時間とまる。その間、何とコックピットにいれてくれる。我々も写真をとる。JLでは恐らく有り得ないことだ。
  時離陸。約30分程で、右側の窓から白い山々が見えてくる。ヒマラヤだ。右側の席の一番前が多少広いので、座っている人(外人)に断り、写真を取らせてもらう。他にも何人かそういうひとがいて、その外人は苦笑い。あまり山には関心は無いよう だ。スチュ−ワ−デス達の「詰め所」的なところ(客室の前方)に丸い小窓があり、 そこから多少覗くことができたので、何枚か撮影。初めてみるヒマラヤに三人とも興奮状態である。まもなく、左側にも前方に見えてくる。マナスルとか、カトマンズの北西方面の山だ。8mmも取り出し、撮影に大いそがし。2本はフィルムを使ってし まう。 下には茶色っぽい大地がみえてくる。建物もわかる。そしてあの段々畑。いよいよ ネパ−ルだ。
 
  時無事着陸。さわやかな空気だ。12月というのに日本の春を思わせる。
 通関は簡単。荷物が運ばれるのを待つ。ビスタリの国だが、思った程には遅くない。待っている間、日本の一人旅の青年と今日のホテルまで一緒に行くことにする。かれ 相当長期の旅をするようだ。
 リュックが運ばれる。いよいよ検査だ。3人グル−プということで渡辺さんの荷物が「代表」で中を調べられる(若干)。お陰であとの二人は、チョ−クで印を付けられてOKとなる。爆破事件があって以来、厳しくなっているらしい。やや意外な感じ。出たところで、ジャイヒマ−ルのラビさんの出迎え。インド系の、しかし誠に日本語の達者な人物である(後でわかったことだが、彼は日本生まれだそうだ)。

 彼が車を取りにいってくるというので、乗り場まででようとすると、リュックをもってくれる人がいる。てっきりジャイヒマ−ルの関係かと思い、まかせたところ実は全 く関係なし。それ目当ての人物であったのだ。他の二人は自分で運んでいる。やられた!彼は当然報酬を要求する。未だ両替していないし、私が頼んだのではないから、 というようなことをいうが、彼はリュックを渡そうとしない。ホンコンのコインを、 と思ったが、それは交換できないので、紙幣でないとダメという。ライタ−をよこせという。やむなく、こういうこともあるかと思い、持参していたボ−ルペンのうち多 少使ったのをわたし、リュックをとりかえす。着く早々の出来事であり、第一印象を多少悪くする。とにかく自分の荷物は、みずしらずの人にはもたせないこと。この先 がおもいやられると思ったが、これに類することはこれだけであった。

 ラビ氏の運転する車で、約10分。ブル−スタ−ホテルへ到着。途中、殆ど信号が ないのに気付く。それだけ車は早いが、ひやっとすることも何度か、尤も間も無くなれることになるが。

 ブル−スタ−ホテルはカトマンズ市街のややはずれにあるが、なかなかのホテル。 ここでも部屋は一人でつかえる。            

 一旦部屋に入り、荷物をととのえてから、中心街へ出ることにする。「地球のあるきかた」の地図が大変やくにたつ。地図を見ながら、歩いていく。信号がない(殆どない)こともあってやたら自動車のクラクションがうるさいのが印象的。

 トロリ−バスの通る通り(カンティ・パス)にそってあるく。トロリ−バスの停留 所、国立競技場などをみて、約15分、ニュ−ロ−ドへ入る交差点までくる(ここは信号がある)。いよいよ商店街である。日本人とみて、両替はどうかと声をかけられ る。意味がよくわからなかったので、適当に返事をしていたら随分しつこくついてくる。その内慣れることになるが、振り切るのが大変であった。最初によったのは絵葉書屋。子供が随分熱心。小山田さんが30枚ばかり買う。1枚1.5ルピ−。大量に買うのだから負けろというが、結局定価通り。絵葉書についてはどこも「公定価格」 (?)を守っているようだ。子供が写真を撮れというので、リバ−サルだったが撮影。送ってくれと、お祖父さんらしき人が住所を書く。何とかせねばなるまい。

 しばらく行き、私は地図をかう。合計215ルピ−になったので200ルピ−にまけるようにいう。しぶっていたが、OKする。その計算にこちらが、電卓をだしたら、彼は電卓付きの時計で、計算をしたのには参った。あと新聞を2ルピ−でかう。広げ てあるのを人々が覗こむようにしている。いよいよダ−バ−スクウェア。旧王宮など のある一角だ。小山田さんや渡辺さんは、値切りがうまい。
 ここから、北東へむかっているアッサン・ト−レを進む。多くの店が軒をならべ、人通りも多く、非常に活気あふれる通りである。牛、リキシャも通り、大変な雑踏。
「チョット見るだけね」「トモダチ」「両替」等の声がかかる。客引きもすごい(買
い物については別途記述)。興奮し、感心しながら、カンティ・パスにぶつかるところまで、歩き、ホテルまでもどることにする。左手にラニ・ポカリ(池)、ラトナ公園をみる。来るときもそうだったが、ラトナ公園の手前(ホテルより)でおはじき+たまつきのようなゲ−ムを大人たちがやっていた。また牛や山羊などに皮や芽をかじられないように、通りの木の地面に近い部分にはペンキのようなものが白くぬってあ り、また小さい木はレンガで囲いがしてあるのが印象的であった。

 夕食はホテルでとり、薄い味のビ−ルを飲む。             
 7時半ころから、現地駐在員の黒岩さんと話す。その中で、3人ができれば統一コ −スをとること(小山田さんが、ゴ−キョピ−クを変更)、そのためテントではなく バッテイどまりでよい(渡辺さんがそう−−−そのため若干<1or2万円安かったそうだ>)ということ等を申し出る。意外に、それはいいですよ、ということで、カトマンズ着陸間際に機内で何となくでた話が実現することになる。

 ルクラへ行く飛行機は重両制限が厳しいので、出来る限り荷物を減らすようにとい われ、部屋へ戻り、荷物の整理(実際には何らいわれなかったがそれは規定の重さ以内だったからか?)。不要なものはホテルへ預けておける。それにしてもいろいろもってきたものだ。トレッキング中のザックは当然いつものアタックザックのつもりでい たが、なるべく小さくということで、思い切って、西遊のデイバッグに切り替える (フタがないので不便だったし、シェルパの山のような荷物に比べてあまりに小さす ぎて、申し訳ない気がしてならなかった。しかし、そのお陰で−−−小さく、軽かったので−−−5000mを越えることができたのかも知れないが)。2人は普通のアタックザックで私が逆に小さくしすぎたかと思ったほどである。

 こうした荷物の整理と、一時トイレの水が止まらなかったこともあって、就寝はかなり遅くなってしまった。  
12月23日
以下、永遠に未完でしょう(^_^;)