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飯豊山 1975年7月22〜27日                                       写真はこちら
7/22 夜行  
 7/23 川入---▲三国岳 三国小屋(泊)
 7/24 三国小屋---▲飯豊山---▲御西岳 御西小屋(泊)
 7/25 御西小屋---▲大日岳往復---▲梅花皮岳 梅花皮小屋(泊)
 7/26 梅花皮小屋---▲北股岳---▲門内岳---(梶川尾根)---長者原
      ・泡ノ湯(泊)
 7/27 帰宅  
*川入よりの登りの時間−−−日地出版の地図の数値まちがい
    当時はガイド地図は日地出版のものしかなく、これが超健脚向きのコースタイムでした。コースタイム短縮が生
   き甲斐でしたので、これにはショックで、あとで、この地図が一般向きでないことがわかりました。そのことを後に
  『山の地図と地形』(山と溪谷社)や、『続々展望の山旅』などに書きました。
    

*残雪・お花畑 誠に豊富。

*圧倒的に人が少ない。

*大日岳は空身のため楽に往復。

*御手洗ノ池(御西岳〜烏帽子岳)のそばの雪田の水を使い、冷やソーメンをつくる。

*烏帽子岳付近でヒナウスユキソウの群落。 
梅花皮岳で激しい雨。小屋が一杯ではじめの内入ることができず焦る。2階の奥に窓が破れているところがあり、
   かろうじてそこに潜り込む。小屋の中で傘をさす。
    この時のことを『続々展望の山旅』の飯豊山(大日岳)の項で書いています。当時は避難小屋、という感じで
   したが、最近建て替えられたそうです。


*ワンゲルのパーティ多し。特に女子。

*梶川尾根、全くひどい下り。
  
*BPで30数sあったのでペースが落ちる。ゆっくりはできた。
    BPはイギリス石油ではありません(^_^;)。バックパックの積もりです。今はまず見かけることはありませんが、フ
   レーム付きのザックで一世を風靡したものです(^_^;))。 

続々展望の山旅 飯豊山   なだらかな山稜にたどり着くには、予想以上に厳しいアルバイトが。
 憧れの山だった飯豊山に行ってから二〇年近くになる。しかし、この図を見ると、昨日のように、色々なことが思い出される。
 その思い出は、実は展望についてではない。この図は自分で撮った写真をもとに描いたので、間違いなくこのような景観に接したはずだが、あまり遠くが見えていたのではないのと、ほとんんど知らない山ばかりだったこと、さらになだらかな山稜で際立った個性を持つ山がないということも原因かもしれない。
 印象に残っていることの一つは、地図のコースタイムについてである。
 一九七五年に歩いた時に使ったN社の登山地図には、飯豊鉱泉のある川入から三国岳が四時間のタイムとなっている(「夏山晴天時二、三人の休憩を含まない標準記録」)。実際にはとてもこれではたどり着けず、コースタイム短縮を目標にしていた当時は、すっかり落胆したものだった。ちなみに同コースを五時間三五分としているガイドもある。これが実態に近いだろう。

 自分自身でも体調のよしあしにより所要時間は違ってくる。コースタイムは目安に過ぎないのだが、具体的な数字で出てくるので、過大な評価を与えやすい。山行を重ねる中で、それを補正できる自らの「係数」を見つけていくことが必要だろう。

 山中であった鈴木さん、菊池さんも忘れ難い。激しい夕立のために駆け込んだかいらぎ小屋は、幕営組も入っており超満員。どうしようと思った時に、無理に詰めて場所を空けてくれたのがお二人だった。翌日はうんざりするような梶川尾根を下ったところで、またばったり。泡ノ湯の旅館に泊まるので、宿を決めてないならどうかと誘われる。単独行の気楽さで遠慮なくご一緒させて頂くことにする。熊の肝なるものを初めて食べたのもこの時だった。翌朝宿代を清算しようとすると、お二人は、二人も三人も変わらないからと受け取って下さらない。今思い返しても何とも嘘のような飯豊の思い出である。